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対馬丸(つしままる)は、山陽鉄道が1904年に発注し、1905年に竣工した旅客船。関釜連絡船として就航中、鉄道省(日本国有鉄道の前身)に所有が移り、稚泊連絡船として転属、就航。1925年に稚内港西の野寒布岬灯台近辺にて座礁し、船体大破のため放棄された。僚船に壱岐丸がある。 ==沿革== * 1905年(明治38年) - 三菱長崎造船所にて竣工。 * 1905年11月 - 山陽汽船の船舶として、関釜航路に関釜連絡船として就航。 * 1906年(明治39年)12月1日 - 鉄道国有法によりオーナーの山陽鉄道が買収・国有化され、対馬丸も鉄道省の所有となる。 * 1923年(大正12年)3月8日 - 稚泊航路に転属。神戸製鋼所播磨造船所で砕氷船への改造工事開始。 * 1923年6月8日 - 稚泊航路に稚泊連絡船として就航。 * 1924年(大正13年)7月18日 - 稚内港シユルコマナイにて座礁。函館に回航され、推進器修理を行う。 * 1924年8月12日 - 稚泊航路に復帰。 * 1925年(大正14年)12月17日 - 野寒布岬灯台北1.3kmの地点で座礁。乗客188人、乗務員全員避難し退船。翌日サルベージ船が船体救助のため到着したが悪天候のため断念。その後船体中央部が大破し両断したため、船体は放棄された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「対馬丸 (連絡船・初代)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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